コミュニケーション

政権交代のコミュニケーション力学4

(3から続く)

土俵をつくれない企業は生き残れない、選挙コミュニケーションから何を学ぶ

2つの政権交代、“劇場モード”から“祭りモード”へ

オバマは変化を求めるアメリカ国民の潜在意識を世論という形で顕在化させ、それによってアメリカが動いた。政治に無関心だったサイレント・マジョリテイーが動く。かつてない規模でアーテイストなどの著名人が動く。インターネットを通じて口コミが動く。さらには、国境を越えて海外も動く。オバマだけが、劇場で一人踊っているのではなく、皆がオバマと一緒に踊っている“オバマ祭り”の様を呈する。“CHANGEYES, WE CAN”を合言葉に、まさに”祭り“モードで政権交代を実現する。従来の大統領選は”劇場モード“である。”劇場“の上で候補者たちが競演、それをマスメデイアが流す。国民の目を楽しませた演出をした者が選ばれるという構図であった。1960年、ケネデイー対ニクソンの大統領選が”劇場モード“の始まりと言える。大統領選でのテレビ討論が始まったのもこのときである。ケネデイーはニクソンとのテレビ討論に臨むにあたり、テレビ目線からのトレーニングを受けた。結果、このテレビ討論を機に国民の支持はケネデイー大きく傾く。「討論をラジオで聞いていた人は、ニクソンが勝ったと思い、テレビで討論を見ていた人はケネデイーが勝ったと思った」といった逸話が生まれる程にケネデイーの非言語も含めた演出に国民は魅了された。オバマがこの構図を変えた。

奇しくも、その後日本においても政権交代が実現する。アメリカ同様に変化を求める国民の潜在意識が世論となり、日本を動かした。オバマのように積極的な働きかけによって世論をつくるというものではなく、“敵失”によって世論がつくられてしまうという消極的なものではあったが、国民が当事者意識をもって投票したという意味では“祭り”モードによる政権交代である。これは大きな変化である。2005年郵政選挙は小泉劇場と揶揄されるように、まさに“劇場”モードである。国民はマスメデイアを通じて流れてくる“刺客騒動”に反応した。当事者意識というよりも、舞台で“覚悟”を演じる小泉純一郎の姿に魅了された。これからは“祭り”モードでなければ世論がつくりにくい時代になったことを今回の選挙は示唆している。

“祭り”で“空気”をつくる、そして“世論をつくる”、

選挙の世界だけではない。これからは“祭り”モードで“空気”をつくる、そして“世論”をつくることが企業にも求められてくる。新商品・サービスを売るにも、社員の帰属意識を高めるにも、株主・投資家の信頼を得るにも、当局の支持を確保するのも、政策や法案を変えてもらうのも、そして社会からのレピュテーション(評判)を上げるのも。あらゆる企業活動の中に、これからは“空気”をつくる、“世論”をつくることが必要になってくる。人々の意識や価値観はますます多様化する中で、いわゆる“常識”が消滅する。共通認識が細分化する。共通の土俵もなく“主張”するだけでは人は動かなくなる。空気をつくり、共通の土俵を設定、その上で“主張する”。結果として参画意識が醸成され、世論が創出する。そして、それをテコに人々を動かす。これが21世紀のコミュニケーション力学の趨勢である。

選挙コミュニケーションを原点にもつ3つのコミュニケーションの潮流

広告・宣伝・PRで消費者に直接“主張”する時代は終わった。インフルエンサーという第三者から間接的にメッセージを発信、消費者の間に“気づき”を起こし、説得ではなく、共感によって商品・サービスを買ってもらう。消費者との“対話”によって“空気をつくり、商品・サービスを売る時代になってきている。“空気”をつくり、消費者を囲い込むインフルエンサー・マーケテイングは選挙における世論の掘り起こしの手法をルーツにもつ。

「ブランドよりもレピュテーション(評判)が企業価値を決める」という考え方が今、急速に広がっている。レピュテーション(評判)という企業活動に対する世論の支持が事業戦略の実効性を上げ、企業価値を高めるという発想である。企業は商品やサービスをつくり、売っているだけではない。その過程で様々な経験、技術、ノウハウ、見識などの、いわゆる“知見”(Thought)もつくりだしている。これらの“知見”を提供、第三者といっしょに、その知見を深掘りし、社会的な課題解決に役立てる。その中で、企業に対するレピュテーション(評判)が生まれ、結果として事業拡大につながる。このソート・リーダーシップ・コミュニケーションが企業ブランデイングやCSRに代わって企業価値を上げるコミュニケーション手法として注目されている。

リーマン・ショック以降、政治や政府当局のビジネスへの関与度が高まっている。また、グローバル競争の主戦場が中国やインドなどの社会主義国に移りつつある中で、ビジネスを展開していく上で政治や政府当局との“対話”がますます求められてくる。政治や政府当局との“対話”には世論の支持が必要不可欠である。世論をテコに政治・政府との“対話”を推し進め、事業戦略実現をコミュニケーションの視点から後押しするパブリック・アフェアーズの分野が急速に伸びてきている。企業が政治や政府当局に“モノ申す”ことが身近な時代になる。

選挙はコミュニケーションの力の発揮が最も求められる”場“である。今後、2大政党制が定着する中で、政党のコミュニケーション力を競う”場“が国政選挙となる。政権が交代するごとに、新たなコミュニケーション力学が誕生する。その中から、様々なコミュニケーション技術が開発され、企業のコミュニケーション力につながる構図をもつことが日本のコミュニケーション力を高める。


政権交代のコミュニケーション力学3

(2から続く)

麻生自民政権が犯した5つの失敗

1.まず、与党である自民党が“野党的”発信をし続けたことである。2003年のマニフェスト選挙の際、民主党が「政権交代」をいくら高々に掲げても国民の目線は冷たかった。しかしながら、6年後の今日、「政権交代」に対して勝手ない程に国民の“熱い”目線がある。これは、この6年間で雇用、年金、医療、子育て、教育などの面で国民生活が追い込まれてきたことが背景にある。「民主党に一度はやらせてみよう」という社会的な気分が醸成されていったのも、この国民生活の窮乏感がある。このような状況の中で国民が期待することは、政権与党である自民党が当事者意識をもって、“事に当たる”という姿勢である。ところが今年に入ってからの麻生自民党政権から一貫して伝わってきたものは「民主党には政権与党はできない」という民主党に対する批判の一言である。国民にとっては自民でも、民主でもどっちでも良い。要は国民生活が直面している課題にどれだけ当事者意識をもって取り組んでもらえるのかである。極端に言えば、民主と手を組んででもとにかく、“事に当たる”という姿勢を示すメッセージを出す以外には政権与党としての支持は得られない。テレビ対談で細田自民党幹事長が、当時、民主党の幹事長だった岡田克也氏に「野党の幹事長になるには、まだ早いですよ」と揶揄されたシーンがあった。これは、細田自民党幹事長が民主党のマニフェストの内容を分析批判したパネルを持ち出し、箱の隅を突っつくような調子でお民主党の政策批判を展開し始めた時に岡田民主幹事長が発した言葉であった。実際のところ、あらゆる対談番組で細田幹事長はパネルを使って、民主の政策に対する批判を一貫して発信し続けた。細田幹事長だけでは。ない、自民党、公明党の他の閣僚や議員の人達も民主党のマニフェストの内容に対する“揚げ足取り”に執着した。

2.麻生自民党政権は全く“空気が読めていない”、つまりKYである。コミュニケーションの世界では“メッセージ感度が低い”と言う。“空気が読ない”とは「相手が発信しているメッセージが読み取れない」ということではない。自分が「どのようなメッセージを相手に伝えてしまうかが読み取れない」ということである。よかれと思って発信していることが、逆に間違ったメッセージを国民に伝えてしまうことに麻生自民党政権は全く無頓着であった。麻生総理は失言が多かった。「踏襲」(とうしゅう)を「ふしゅう」と呼び、“読字障害”ではないかと揶揄され、「ホッケの煮つけ」と発言、「ホッケは焼くしかないんですよ」と突っ込まれ、「束の間の庶民派アピール」と皮肉られる。定額給付金では「給付金なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と給付金を受け取る国民はプライドがないともとれる発言が出る。「はっきり言って(医者は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と言及、日本医師会を怒らせる。言葉だけではない、行動そのものが適切でないメッセージを国民に伝えてしまった。麻生総理は総選挙前の都議選に前例がない程に力を入れた。それは都議選の勝敗が総選挙の勝敗を占うと考えられていたからである。しかしながら、一国の総理大臣が自公の都議選候補の応援にしゃかりきになる“姿”は国民から見ると“自分勝手”である。派遣切りで職を探す人々、台風や大雨によって大きな被害にあっている人々、これらの映像がテレビに映し出される中、政権与党のために都議選の応援うつつをぬかす麻生総理の姿は国民からすると一国の総理としての当事者意識の欠如と映る。

3.麻生自公政権はメッセージの一貫性を守れなかった。リーダーとして、そのメッセージの一貫性を保つことは重要であるが、組織全体のメッセージの一貫性を守ることは更に重要である。アメリカの大統領選においては、民主党や共和党といった党よりも大統領候補であるオバマやマケインなど個人のメッセージの一貫性がより強くもとめられる。しかしながら、日本の総選挙では逆に党全体のメッセージの一貫性が党首以上に求められる。政党そのものが発するメッセージがいかに一貫しているかが支持や投票行動に影響する。自公政権のメッセージが一貫していたのは、民主党批判だけである。 鳩山邦夫総務大臣更迭まで発展してしまった日本郵政西川社長の進退問題で自民党や自公政権から出てくるメッセージが錯綜した。この問題は、結果として麻生政権の小泉路線否定にニュアンスを国民に与えて、「2005年の郵政解散は何だったのか」という思いを国民に抱かせ、自公民政権としての政策の一貫性のなさを露呈する。その後、自民党執行部、内閣人事を刷新するという麻生総理の企ても、自民党内からの様々な反発により頓挫。党執行部は手を付けず、小幅な内閣人事の変更が行われただけであった。究極なのは一連の“麻生おろし”の動きである。2008年の自民党総裁選では5人の候補者が華々しく、立候補、全国行脚、総選挙を意識した国民へのアピール作戦が展開された。当時の政治関連のテレビ報道はほとんどが自民党総裁選で彩られ、多くの自民党内の支持を獲得した麻生総理が誕生する。この映像を強く印象づけられている国民からすると、“麻生おろし”の顛末は、「自民党がいかに一貫性のない、自己都合の強い党なのか」というメッセージを浸透させてしまった。選挙では、与党政権であれ、野党であれ、その組織から発するメッセージの一貫性を守ることが、国民からの信頼感を得るための要諦である。

4、自民党の空中戦依存体質が国民の支持を失わせた。選挙用語で「空中戦」、「地上戦」という表現がある。「空中戦」とは、広い意味では、TV コマーシャル、TV討論、政権放送、ポスター・チラシ、宣伝カー、駅前演説、党首討論、国会審議、ウェッブ、更にはマニフェストなどによって国民の支持を訴える手法である。まさに、メデイア戦略が要になる。「地上戦」は、逆に“どぶ板選挙”と言われるように、選挙区の有権者に直接Face to Faceで訴える方法である。ここでは、各選挙区での政党の組織力がものを言う。小泉政権以来、自民党はその選挙戦略を空中戦依存にシフトしてきた。具体的には“テレビ露出を増やす”ということである。これは小泉元総理が残した遺産といってよい。小泉以降、安部、福田、そして麻生と自民党の中に、“国民の支持率を絶えず気にする”という体質が培われてきた。

支持率を気にすること自体は問題ではないのだが、それが「テレビ露出を増やす」=「国民の支持率アップ」という単純な“思い込み”へと変質してくるとなかなかに厄介な問題を孕んでくる。端的に言うと、小泉元総理が仕切った2005年の自民党の歴史的勝利がこの“思い込み”を自民党の組織全体の意識の中に広める結果となる。小泉以降、自民党のコミュニケーション戦略は「如何にテレビの露出を増やすか」に傾注していく。2008年9月の自民党総裁選が、そのよい例である。解散総選挙を意識した自民党のコミュニケーション戦略は、解散直前の自民党総裁選で大きくテレビの露出を増やし、支持率を上げ、解散に打って出る目論見であった。そのため、麻生、与謝野、小池、石原、石破など5人の自民党オールスターが総出演、ワイド・ショーも含め、殆どのテレビ報道は自民党総裁選一色で塗られ、テレビ・ジャックは成功した。ところが、誤算だったのが、期待した程には支持率が上がらなかった。なぜ、支持率が上がらなかったのか。それは国民に“見透かされた”のである。ある意味、小泉郵政選挙の後遺症と言ってよい。2005年の郵政選挙後、多くの国民やマスコミが“動かされた”という実感を抱いた。これが反動となり、「テレビの露出を増やす」=「国民の支持率アップ」という構図にはならなかったのである。しかしながら、その後も、「テレビ露出を増やす」=「国民の支持率アップ」という“思い込み”の構造は自民党の意識の中から消えなかった。選挙の総指揮官である古賀選挙対策委員長が東国原、橋元両知事に接近、自民党からの出馬や支持を打診する。この行動自体がテレビ報道では大騒ぎになる。東国原、橋元両知事のようにテレビ受けする役者が自民党側に揃えば、テレビの露出増はもちろんのこと、その結果としての支持率アップが見込める。これは5人揃い踏みの2008年9月総裁選の時とまったく同じ思考パターンである。ここも、当然、国民からは見透かされる。「自民党は何が何でも政権にしがみつきたい、藁をも掴むように知名度、人気抜群の東国・橋元両知事を味方にしたい」といったメッセージが国民に伝わる。ここでも「テレビの露出を増やす」=「国民の支持率アップ」という構図は崩れる。あたかも戦艦から飛行機へと中核戦力がシフトする中で日本海軍だけが大艦巨砲主義という“思い込み”から脱却できす、アメリカの航空戦力に敗北したこととイメージが重なる。自民党が国民の支持を得られなかった一つには、この「テレビの露出を増やす」=「国民の支持率アップ」という“思い込み”から脱却できなかったことにある。

5.小泉純一郎元総理は“公約”どおり、本当に“自民党をぶっ壊した”

小泉元総理が自民党に残した“置き土産”はまさに、この「空中戦」偏重の体質である。必要以上にテレビ露出を増やす、必要以上に支持率を気にするということである。しかしながら、小泉流コミュニケーションの要諦は単にテレビ露出を増やすということだけではない。”メッセージをコントロールする”という発想がある。前述したが、現代は「自分の発言したことは、99%誤解されるか、曲解されるかである」という時代である。相手にどのようなメッセージが“伝わってしまうか”を意識する時代である。国民にどのようなメッセージが伝わるかを意識した上でテレビ露出を考える。これがメッセージをコントロールする発想である。小泉元総理は、このメッセージのコントロールがうまい。2005年の郵政選挙はコミュニケーション戦略という視点からすると、見事なほどにメッセージがコントロールされた。中でも、テレビ報道を賑わせた“刺客騒動”は見事な仕掛けである。郵政選挙を盛り上げた“刺客騒動”は単にテレビ露出増を狙ったのではなく、「郵政民営化Yes or No」という自民党の土俵(争点)を民主党よりも早く設定することが本当の意図である。郵政民営化反対の自民党議員を公認せず、そのひとりひとりに対して、新たな自民党公認の候補者を“刺客”として、送り込む。あのホリエモンまで、当時、自民党の重鎮で、郵政民営化反対の旗頭であった亀井静香議員の刺客として登場する。まさに、劇場政治と言われる所以である。この“刺客騒動”が報道されれば、されるほど有権者の意識に、今回の総選挙の争点は“郵政民営化Yes or No」ということが刷り込まれていく。一旦、国民の意識に刷り込まれると、民主党が、今回の選挙の争点は「郵政民営化 or 年金・子育て」といくら言いたてても”聞く耳もたず“である。”刺客騒動“という仕掛けの裏にはしっかりとメッセージをコントロールするという発想がある。

小沢民主党も完璧ではない

一方、小沢民主党のコミュニケーション戦略はどうだったかというと、決して完ぺきではない。どちらかというと、2007年の参院選のように、自民の“敵失”によってかなりの部分助かっている。ある民主党の議員が「4年前の郵政選挙は“台風”が民主を直撃した。つまり郵政民営化という“風”が小泉自民に歴史的大勝をもたらした。一方、今回の選挙は台風ではなく、地殻変動が起こった。“風が民主に吹いた”のではなく、“地震によって自民は潰された”のである。2005年の郵政選挙においては、“刺客騒動”を楽しむ程に国民には余裕がまだあった。ところが、今回の総選挙では、国民の側が追い詰められている。余裕が全くない。まさに、この地殻変動が民主に味方した。外的な要因もある。オバマ米国大統領の誕生である。“Change”を旗頭に登場したオバマは世界中に“変化への必要性”を波及させた。これが、政権交代を目指す民主に有利に働いた。米国の選挙の結果が出る前に、つまりオバマが大統領選で勝利する前に、解散・総選挙すべきだという思惑も昨年の8月、9月あたりは自公政権内には根強くあった。このように、外部環境は民主に有利なかたちで推移する中で、民主党のアキレス腱は2つあった。ひとつはリーマン・ショックにより景気対策が最優先課題としてクローズアップされていた昨年の秋ごろである。民主党の「政権交代ありき」の発信があまり強いため、政権奪取のための政局的な動きとして国民からの批判に晒された時である。このとき、麻生総理は「解散・総選挙よりも景気回復」、「政局よりも政策」といって、国政に対する当事者意識を示した。これが、麻生総理の就任期間中、唯一国民視点に立ったメッセージ発信である。このときが麻生内閣の支持率が最高位であった。その後、定額給付金の手続き上の混乱や麻生総理が給付金を受け取る、受け取らないなどの失言、ガソリン税の暫定税率延長の問題など麻生総理のメッセージの“ブレ”が目立つようになる。これが民主党に幸いする。

小沢民主党も完璧ではない

一方、小沢民主党のコミュニケーション戦略はどうだったかというと、決して完ぺきではない。どちらかというと、2007年の参院選のように、自民の失点や環境変化などの外部要因でかなりの部分助かっている。自民の失点は上に述べた通りだが、環境変化とは、深刻な不景気で国民は生活が追い詰められ切羽詰まっていること、アメリカで“Change”をうたうオバマ陣営が政権交代を成し遂げたことで世界に変化を求める機運が伝播したことなどである。

そして、民主党にも失点はあった。一つはリーマン・ショックによって景気対策が最優先課題としてクローズアップされていた、昨年の秋ごろである。民主党の「政権交代ありき」の発信があまりに強く、単なる政局的なアピールとして国民から批判的に見られた時である。一方の麻生総理は「解散・総選挙よりも景気回復」、「政局よりも政策」と言って国政に対する当事者意識を示し、支持率を上げていた。

もう一つの民主の失点は、今年の3月に話題となった、小沢民主党代表(当時)の秘書が絡んだとされる西松建設の献金問題である。これが発覚した時は民主党、最大の危機であった。これによって民主党の支持率は急落、選挙の見通しが見えなくなった。

殻に閉じこもったことが効奏する.

結局、西松建設献金問題によって、民主党への支持率は下落、小沢代表は辞任する。

その後、民主党は代表選を実施、鳩山VS岡田の構図の中で、鳩山新代表が就任、民主党の新執行部は鳩山代表、岡田幹事長、菅代表代行、そして選挙対策の総責任者である小沢一郎氏の4人から構成された。通常は選挙の総元締めは幹事長の職である。小沢氏が単独で選挙を統括するのは異例なことだが、ともかくこの人事によって、小沢氏の考えである地上戦重視の選挙戦略が民主党の基本方針として継続される。この地上戦重視の考え方によって民主党はテレビ露出は少ないが、メッセージが一貫して発信される、という状況を作り出した。

自民党が、鳩山邦夫総務大臣更迭、東国原知事勧誘、内閣・党執行部人事不発、麻生総理降ろしなど多くのトピックを提供、自民党関連のテレビ報道がほとんどといったテレビ・ジャック的な状況に比べて、民主党からの発信や露出はかなり限られていた。これが、民主党のとって幸いであった。党内の不協和音がほとんど外に漏れず、地道に支持者を増やしていくことができたのである。

(続く)

政権交代のコミュニケーション力学2

(1はコチラ)

2003年のマニフェスト選挙から始まった自民VS民主のコミュニケーション戦争

政権奪取をかけた“自民VS民主”の戦いは2003年の総選挙に始まる。菅直人率いる民主党と小沢一郎が率いる自由党が合併、自民党に伍して行ける新生民主党が誕生する。そして2003年11月の衆院選で自民・民主両党が初めて真っ向からぶつかる。小泉自民党VS菅民主党である。結果は民主党が40議席を増やし、勝利、2大政党制の枠組みができる。その後、戦場は2004年の参院選に移り、年金未納問題で永田町に激震が走る中で、菅直人民主党代表が年金未納の疑いで辞任、それを継ぐ小沢一郎代表も、同じ問題で辞任、結果として当時幹事長であった岡田克也氏が代表となり、小泉自民党VS岡田民主党の対決となる。大方の予想に反して民主党が善戦、12議席とその議席数を増やし、勝利、参院での足場を固める。小泉自民党VS岡田民主党の第2ラウンドは2005年の総選挙である。結果は郵政民営化を唱えた小泉自民党が296議席を獲得、自民にとっては歴史的大勝となる。安部政権の敵失により、2007年の参院選では小泉自民党VS小沢民主党の対決構図の中で、民主党が109議席を獲得、参院での第一党の立場を確保する。麻生総理は、2009年7月21日に解散、いよいよ麻生自民党VS小沢民主党の対決構図で天下分け目の戦いが始まる。そして最終戦を迎える自民VS 民主のコミュニケーション戦争の結末は民主党が308議席を獲得、歴史的大勝を果たし、政権交代が実現する。

土俵を設定したものが天下を取る、土俵が“命”

選挙では、“土俵(争点)”を先に設定した方が選挙に勝つ。一旦、土俵を相手に設定されてしまうと、その相手の土俵で戦わざるを得なくなる。オバマもマケインに先んじて“Change”という土俵を設定した。結果はオバマの敷いた土俵に乗らざるを得なかったマケインが敗北する。日本でも2003年の衆院選挙では民主党がマニフェストを旗頭に「マニフェストYes or No」を土俵に設定、勝利をものにする。2004年の参院選では「年金一元化Yes or No」を土俵に民主党が自民党にせまり勝利する。反対に、2005年の衆院選では「郵政民営化Yes or No」という土俵を小泉総理が演出、空前の勝利を手にする。2007年の参院選は”何々“選挙と命名されないほど、民主、自民両党とも土俵設定ができず、閣僚の失言、辞任などの自民党の敵失によって、更には地方重視、地上戦重視の小沢路線によって民主党が勝利を収めるといった構図であった。そして、2009年の総選挙は「政権交代Yes or No」という土俵を先に設定した民主党が大勝する。土俵設定のカギは「Yes or No」の二者択一に有権者を追い込むことである。あくまで、その基本構図は2つの選択肢である。3つ以上の選択肢では意味がない。人間は選択肢が3つ以上あると行動が”にぶる“。白か、黒か、ABか、ぎりぎりのところに追い込まれて、始めて人は選択という行動をとる。あとはその土俵がこちらに支持を獲得する上で優位かどうかを作り込むことである。的確な土俵あるいは争点を作り込むためには、まず、”ある感覚“が必要である。目の前で起こっている様々な事象、一見、なんのつながりもないように見える事象の背後に、それらの事象を結びつける共通する”スジ“を”読み解く感覚“である。”スジ“とは一見、無関係な個々の事象の背後に隠れている”ひとつのつながり“といってもよい。その”つながり“が見えてくると、そこから”ひとつの課題“を抽出、設計することができる。人々が日常目撃しているあらゆる出来事、事件、事象などを”ひとつの課題“で意味づけることである。イラク戦争の泥沼化、医療制度の崩壊、リーマン・ショックに始まる金融危機などの事象を、オバマは”従来の延長線上ではダメなのだ。Changeしなければダメなのだ。“という課題で意味づける。これは選挙戦略コミュニケーションの要となる感覚である。多くの一見つながりのない事象に共通する”ある課題“を想起する感覚である。そしてその”課題“をどう乗り越えていくかという”ストーリー“を構想する感覚でもある。アップルのステイーブン・ジョブが”Connecting the dots”と表現している能力に近い。見える“点”と“点”を見えない“線”で結びつける能力である。“意味づける能力”と言ってもよい。課題とそれを乗り越えるストーリーが直感できれば、あとは科学的に定量、定性調査を行い、その裏づけをとる。具体的な土俵や争点の設計のステージに入る。いろいろな出来事や事件などが、人々の意識の中で“ひとつの課題”によって意味づけられると、そこに土俵ができる。意味づけによって人々の認識は変わり、意識・行動変化の大きな起因となる。“意味づけが人を動かす”コミュニケーション力学の原理・原則である。

選挙戦略コミュニケーションとは

“選挙戦略コミュニケーションとは、何をするのか”とよく聞かれる。選挙戦略コミュニケーションはまず、有権者の潜在的意識の変化を先取りすることから始まる。顕在化している意識を把握し、それをいくら料理しても選挙の勝利に資するようなものは出てこない。まだ誰もが気が付いていない有権者の潜在的意識の変化を把握することが勝利の是非を握る。次は土俵設定である。“土俵”とは英語ではバトル・フィールド(Battle Field)と呼ばれていて、所謂、戦場である。選挙を戦う際、どこを戦場とするかである。戦う“土俵”をどこに設定するかが勝敗を大きく左右する。有権者の潜在的意識変化を察知できれば、こちらにとって最も有利な“土俵”設定が出来る。味方に有利な土俵を先に敷いた方が勝つ。その“土俵”をベースに基本メッセージを創り込む。最後は、基本メッセージを誰に対して、どのようなタイミングで、どのような方法で発信するかを検討する。選挙用語に“地上戦”と“空中戦”という表現がある。“地上戦”とは直接、有権者にアプローチ、支持を訴える方法である。世に言う“どぶ板選挙”である。有権者と直接握手をする、街宣車にのって政策を訴えるなどのやり方である。一方、“空中戦”はテレビなどのマスコミ、広告・宣伝、チラシ、ポスター、政見放送などを通じてメッセージを間接的に媒体経由で伝えていく手法である。いずれにせよ、“地上戦”と“空中戦”が上手く連動し、メッセージ発信の一貫性を保つことがポイントとなる。これが選挙戦略コミュニケーションの概略である。3年の実体験から言えることは、選挙とは戦争である。メッセージというミサイルを双方が撃ちあいながら、有権者の支持を獲得していくコミュニケーションの戦争である。どちらのコミュニケーション力が上回るかが、勝敗に大きく影響する。有権者の潜在的な意識の変化とは潜在的なニーズの変化と言い換えても良い。潜在的ニーズの変化とはまだ有権者自身が意識していないニーズの変化である。有権者の潜在的ニーズの変化が“民意”である。この“民意”を先取りし、その“民意”が求める政策を打ち出すのが政党の役割であり、その“民意”の先取りを競争させるのが二大政党制の効用である。日本ではまだ二大政党制の枠組みができたのが2003年の総選挙以降で、歴史がまだ浅い。二大政党制の大先輩であるアメリカやイギリスなどでは、この“民意”をどう先取りし、土俵を設定、その土俵をベースとした政策を通じて有権者にメッセージを伝え、その支持を取りつけるかに相当に腐心する。選挙戦略コミュニケーションが大きな役割を果している。

なぜ民主党は「政権交代Yes or No」という土俵を設定ができたか。

今回の選挙で、民主党が「政権交代Yes or No」という土俵を設定できたのは、様々な理由が考えられるが、コミュニケーションの視点から見た最も大きな原因は、麻生自民党政権の、“敵失”のメッセージ性である。誤ったメッセージを出し続けたことである。結果として、それは「政権交代Yes or No」という土俵作りを“手助け”した。

(続く)

政権交代のコミュニケーション力学1

今年は総選挙、続く政権交代と政治が大きく動いた1年であったが、コミュニケーションの視点から見ても大きな力が働いた。選挙に関連する講演シンポジウムの中で、その力学についての分析を発表してきたが、今回改めて「政権交代のコミュニケーション力学」としてまとめたものを数回に分けて投稿する。(尚、連載終了後はプリントするのに適したPDF版をアップロードする予定)

コミュニケーションの本質“人を動かす”

コミュニケーションは人を動かす力である。力である限り、その行使には反動がある。物理学でいう力の“作用・反作用”である。ところがコミュニケーションの力の場合、相手が“納得”して動いてくれるため、その行使には比較的、反作用、反動が少ない。これに比べて、人を動かす他の手段である武力、財力、権力は、その使用にはかなりの“反動”を覚悟する必要がある。武力を使えば人の恨みを買う、財力にものを言わせれば、金の切れ目が縁の切れ目、権力を行使すれば、権力闘争に陥る。この意味でコミュニケーションという“チカラ”はコスト・パフォーマンスの高い力であると言える。実際のところ、有史以来、人間は、このコミュニケーションの力を最も使っている。人の意識を変え、行動をかえるためには、武力、財力、権力、そしてコミュニケーション力すべてをうまく組み合わせながら使っていくことが求められる。しかしながら、その組み合わせの“妙”を創り出すのがコミュニケーション力学の発想である。人間はメッセージによって動く。


メッセージとは何か

武力、財力、権力、いずれを組み合わせるにしても、どのようなメッセージを相手に伝えるかがカギを握る。コミュニケーションの力のメカニズムを理解するには、まず“メッセージとは何か”その定義からスタートすることが重要である。最近、“メッセージ”という言葉をよく耳にする。確かに“メッセージ”という表現を使う人が増えている。大概、その意味するところは“相手に伝えたいこと”と言った範疇で多くの場合語られている。しかしながら、コミュニケーションの力の本質を深く理解するためには、“メッセージ”の定義をより深掘りすることが必要となる。コミュニケーションとは、端的に言えば“メッセージの受発信”を通じて、相手の意識に働きかけて、行動を変える力学である。つまり、メッセージとは、相手を実際に動かす“もの”なのである。敢えて“もの”と表現したのは、メッセージとは言葉だけによって、伝わるものではない。表情、態度、しぐさ、行動などの非言語によって伝えることもできる。モノや仕組み、さらには事象によってもメッセージは伝えることができる。

例えば、人事制度は社員を管理する仕組みであると同時に、その制度設計のあり方によっては社員に対して重要なメッセージを伝える立派なコミュニケーション・チャネルなのである。また、自分が発信していると思っているものが必ずしもメッセージではない。相手に伝わったものがメッセージである。同じ事を伝えても、相手によって受け取り方が違う。それは相手の受け皿が違うのである。受け皿が違えば、同じことを聞いても違ったメッセージを相手は受け取ることになる。ここで受け皿とは相手が持っている認識、文脈、偏見、感情などである。相手の受け皿を知らずに発言、発信するとエライ目に会う。とくに考え方、価値観、経験などが多様化する現代社会では

「自分の発言したことは、99%誤解されるか、曲解されるかである」

ぐらいに極端に思う慎重さが求められる。


コミュニケーションは厄介な“チカラ”

コミュニケーションは反作用、反動の少ない、コスト・パフォーマンスが高い力であると前述したが、実は一方で“厄介な力”でもある。武力、財力、権力などの力は通常“意識”してその力を行使する。ところが、コミュニケーションの場合は“意識”しなくても、そのパワーは作動してしまう。「言葉に出さず、黙っているから、メッセージを発信していない」と思っていても、周りは勝手に何等かのメッセージを受け取っている。黙っていれば、「今日は機嫌がわるいのか」、「人づきあいの悪いやつだ」、「仕事をする気があるのか」とか、その態度、表情、行動を周囲は勝手に解釈してしまう。そして、その受け取ったメッセージに従って周りの相手は行動を変え、態度を変えてくる。これは意識しなくても、コミュニケーションというパワーが相手に影響を与えてしまう。言葉として発言している時は、人間はある程度、コミュニケーションの力の行使を意識するが、それ以外はほとんど意識せずに、様々なメッセージが相手に伝わってしまう。自分以外の人間が一人でもいる場合、ある意味でメッセージは垂れ流しの状況にあると思った方がいい。コミュニケーションを“意識”することが、コミュニケーションの“チカラ”を使いこなすためのポイントである。


不確実性が伴うコミュニケーションのチカラの発動

コミュニケーション力を下手に使うと思いがけないしっぺ返しを食らうことがよくある。

コミュニケーションの力は武力、財力、権力と比較すると、その成果を予想することが難しい。そこには必ず不確実性が伴う。それはコミュニケーション力の本質は“対話”にあるからである。武力、財力、権力のように一方的に行使するものではないのである。“対話”という、双方向的なアプローチを通じて相手を説得、共感、納得してもらう作業がコミュニケーションの力の本源である。確実に成果を予想することができない状況の中で、恐れず、大胆にコミュニケーションのパワーの作動を仕掛ける強靭な意志と不確実であることに対する免疫性をもつことがコミュニケーションの力を有効に使うための能力である。


選挙はまさにメッセージ戦争、コミュニケーション力あるのみ

選挙とはまさに、このコミュニケーションの力がもっとも試される“現場”である。国民の支持を獲得するために、武力、財力、権力は基本的には使えない。選挙はメッセージ戦争である。民主、自民の双方が国民の支持を得るために、国民に対してメッセージをお互いに打ち合う。メッセージとはミサイルのようなもので、選挙では2種類のものがある。

攻撃用メッセージと迎撃用メッセージである。攻撃用とは、国民の支持を取り付けるために有権者に対して発信するメッセージと敵(相手の党)批判するために発信するメッセージである。一方、迎撃用とは、敵が有権者に対して発信したメッセージを無効にするためのものと、敵がこちらを批判するために発信したメッセージをかわすものである。

このメッセージというミサイルの撃ち合いの中で、国民の支持をより多くの支持を取り付けた者が勝者になる。


コミュニケーション技術のF1グランプリ“アメリカ大統領選”

最先端のコミュニケーション技術が駆使されるのが、アメリカの大統領選である。F1カーは“走る実験室”と呼ばれ、エンジン、シャーシー、タイヤなどの自動車技術の粋を集めたもので、その最先端技術を世界レベルで競うのがF1グランプリなのである。そこで開発された様々な新技術は、その後、量産モデルの車両に転用されていく。アメリカの大統領選とは一種のコミュニケーション力を競うレースである。どちらの候補が国民の支持を取り付けるかの競争である。そこでは、様々なコミュニケーションの手法が開発され、適用され、国民からの支持の囲い込みが行われる

1952年の大統領選(アイゼンハワーVSスチーブンソン)以降、予備選及び本選での選挙戦略の企画・実施を担う民間のプロフェッショナル・ファームが誕生する。以後、1回の大統領選で数千億円規模の市場に発展、上院選、知事選を含めると、世界最大の選挙戦略コンサルテイング市場を形成するに至る。国民の意識を変える、国民の意識を囲い込む、そのために考えられるあらゆるコミュニケーションの可能性が追求される。そのために多様な人材が集められる。PR・広報コンサルタント、CMクリエーター、世論調査専門家、スピーチライター、WEBサイトクリエーター、オンライン・デジタル専門家、弁護士、データーベース専門家、CRM専門家、そして全体のキャンペーンを仕切り、コミュニケーション全体を組織するCEO的人材など、これらのプレイヤーたちが、コミュニケーション技術の粋を駆使して選挙戦を戦い、そこからさまざまなコミュニケーション力学の発想が生まれ出てくる。豊富な人材だけではない、試行錯誤を通じたコミュニケーション技術の開発に対してつぎ込まれる金も半端ではない。期間も2年と限定されている。そして勝者がすべてを持っていく。まさにコミュニケーションのF1グランプリ・レースである。

そこからは、コミュニケーションの力を戦略実現のために“使い切る”という戦略コミュニケーションの発想が自ずと醸成される。コミュニケーションを人を動かす力と認識、戦略の実現を確実にするために、その力学をフルに最大化する発想である。

また、F1グランプリ・レースで培われた技術が量販車に転用されるように、選挙が終われば、選挙キャンペーンに参画してきた新たなコミュニケーション技術をもった多くの人材が民間や政府機関へと流出する。そしてそれが、アメリカ全体の戦略コミュニケーションの力の底上げにつながる構図となっている。


オバマの勝利を支えた新たなコミュニケーション手法、“共感とインターネット”

今年1月に就任したアメリカ大統領、バラク・オバマの選挙戦は、コミュニケーションの潜在力、爆発力を世界中に知らしめた。彼の支持者達の熱狂ぶりは、アメリカのメディアすら驚きをもって「オバマ現象(Obama Phenomenon)」と呼んだほどである。

オバマ陣営の勝因の一つは、有権者を説得するのではなく、共感を呼ぶ形式でのメッセージ発信に徹底した点である。

通常、政治家は、自分のプラス面や相手のマイナス面を具体的にアピールして選挙を有利に運ぼうとする。しかし、オバマはそこで、“Change(変化が必要)”と訴えた。そして、同時に、“Yes, we can.”「私たちならできる(一緒にやろう)」と訴えた。皆まで言わずとも、共和党のブッシュ政権に不満を持っていた多くの人にとって、この二つのメッセージが導き出す結論は一つ、「民主党オバマを応援する」である。このように共感から自然と生まれた結論は、自発的なのでとても強いうえ、具体的な行動にもつながりやすい。オバマ陣営には、選挙活動をサポートするボランティアが100万人もいたという。

さらにオバマは、インターネットも巧みに用いている。たとえば、サイトから献金を募るページでは、小口献金のみを募集し、暗黙に「企業献金は受けていない。どこかの団体の利益を代表した候補ではない」というメッセージを発信。有権者達の共感を呼び、参画意識を醸成した。これによりオバマ陣営は、献金者650万人、620億ドルを集めることに成功している。

また、携帯端末のiPhoneやブラックベリー用に「Obama Mobile」というアプリケーションを配布して支持者の囲い込み、拡大に役立てた。Obama Mobileには、端末内のアドレスを住んでいる州ごとにソートする機能があり、オバマ陣営からの「○○州の演説会に人を動員してほしい」といったメールでの指示に合わせてユーザーが人脈を活用できるようになっている。これによりオバマ陣営は「2日で5万人を集められる」といわれるほどの動員力を作り上げた。

人々は従来のように、劇場で政治家達の演劇を見る観客として選挙に参加したのではなかった。祭りで踊る人々のように、当事者として選挙戦を盛り上げたのである。

(続く)

挨拶はコミュニケーションの原点「挨拶をあまくみるな!」

挨拶はメッセージ発信の基本である。

人間が初めて発するメッセージは”おぎゃー”と泣くことである。これによって人間は”おれはいきているぞ!”ということを周りに理解させる。赤ちゃんが産まれたときに鳴き声を出さなかったら原始時代は正常ではないといってほっておかれる。それは赤ちゃんにとっては死を意味する。メッセージを絶えず発信し続けることによって人は生かされていく。

メッセージの受発信を司る力がコミュニケーションの力である。

コミュニケーションとは神様が人間に授けた生き抜くための力である。

人はメッセージを発信続けることによって周りとの関係性を構築していく。その関係性の中で人は生かされる。適切なメッセージ発信に失敗すれば、それはかっては死を意味した。人も、企業も、国も、絶えずメッセージを発信し続ける中で、人生、戦略、外交戦略を実現するための戦略的な関係性を築くことに腐心する。

挨拶はまさに人のメッセージ発信の基本単位である。

挨拶をすることによって自分は元気だ、あなたの存在を認めているよというメッセージを発信する。その相手の反応を見て、次にどのようなのメッセージを出すかを考える。

これが日常的に人が行っているコミュニケーションのプロセスである。

相手の反応が良ければ、まずひと安心、悪ければ、ひとつの注意信号を人は受け取る。そして警戒する。挨拶に対する相手の反応が元気がなければ、相手の状態を聞いてみる。

このような会話が日常茶飯事であるが、このことをもう少し意識して見ると、そこには人間の防衛本能が垣間見える。よくスリラーで物音が暗闇の中ですると、”誰だ!”といって暗闇の中の反応をみる。そこに自分に対して危害を加えるものがいるのか、そうでないのかを確認するためのメッセージ発信である。

挨拶もこの範疇にはいる。人は絶えずメッセージを発信し続けることによって周囲の状況を把握し、自己防衛、あるいは目的実現のためにさらなるメッセージを発信する。

まわりの人々が自分にとって危害を加える存在なのか、自分を生かしてくれる存在なのかを見極める力がコミュニケーションの力である。

ひとはまわりの関係性によって生かされている。この関係性が自分の生存、目的実現に資するかどうかを絶えずメッセージ発信によって確認、さらにその関係性が自分の生存や自己実現に役立つようにさらなるメッセージ発信を通じてより有意な関係性を構築していく発想が戦略コミュニケーションの発想である。

簡単にいうならば、”周りの関係性に自分は生かされているという発想をもつことである。そのなかで自分が生き抜くためにはなにをしなければならないかをコミュニケーションの視点から発想することである。

コミュニケーションを技術する!「コミュニケーション技術評価会」

7月11日に第12回目のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、コミュニケーション技術評価会を開催した。

この会はあくまで社内イベントで年に2回、7月と12月に土曜日を丸1日使って開催する。日本の全スタッフと一部有識者を交えて行われる。内容は成功例、失敗例も含め、我々が行ってきたサービスのケーススタデイーを検証する”場”である。

あえて”技術”という表現を使っているのはコミュニケーションを属人的なスキルとして漠然と捉えるのではなく、ひとつの体系化されたものとして認識することの重要性を示したかったからである。

コミュニケーションは力である。

力である限り、作用・反作用があり、そこには歴然とした原理・原則がある。特に戦略コミュニケーション・コンサルテイングの仕事は”組織のコミュニケーション”を扱う。コミュニケーション力学をどのように組織の事業戦略実現に活用するかが使命である。

もともと「技術評価会」という言葉はホンダ用語である。基礎研究によって生み出された様々な基礎技術の内、どれを量産モデルに取り入れるかを判断する場として「技術評価会」がある。

コミュニケーションの世界も日々進化している。デジタルの世界が広がる中で、様々なコミュニケーション技術が生まれている。我々が今知っているコミュニケーションの世界は”氷山の一角”なのである。

21世紀最大の課題が”人の意識の壁”を越えることである。

変化がますます加速化する中で、人の意識も同じスピードで変化させていくことが必要となる。特に組織の場合、その組織を支えている多くのステークホルダー(社員、顧客、株主など)の意識を事業環境の変化に合わせて変えていくことが組織生存にとって必要不可欠になっている。

ところが、多様性の流れが人の意識のスピーデイーな変化を阻止してくる。意識が多様になればなるほど、その意識をひとつのまとめることがますます難しくなる。かつては日本の企業は終身雇用というしくみによって、社員の帰属意識を担保していた。

しかし、今は意識の多様性によって帰属意識の希薄化がどんどん進んでいる。社員の帰属意識を高め、”やる気”を出す、新たなコミュニケーション技術が必要となる。

コミュニケーション技術の進化の最近の代表例が”オバマ現象”である。

多様化したアメリカ社会をどうやって一つにするのか。様々な人種、宗教、価値観が混在化するアメリカの人々の意識をどうやって一つにするのか。多様性からくる”分断”、分裂”、”対立”の中で、”立ち位置”を失ったアメリカ人の意識をどうやって原点に戻し元気づけるのか。

これらの課題にオバマは”共感”をつくる事によって、アメリカ人の気持ちを一つにする。元気づける。これはオバマによる新たなコミュニケーション技術の開発である。

それは様々な試行錯誤の中から生まれた。ネットという新たな可能性によって生まれた。従来の欧米的な説得のコミュニケーションから共感のコミュニケーションという新たなコミュニケーションの地平の発見でもある。

ある意味、コミュニケーション技術のパラダイム・シフトが起こったといえる。ニュートン物理学からアインシュタインの相対性理論へと物理学のパラダイムが変わったのと似ている。

コミュニケーションという事象はあまりにも日常的であるために意識をしないことが多い。意識せざるを得ない場面に直面しても、個人のセンスの問題として属人的に片づけられることが多い。また、コミュニケーションとは個人のセンスやスキルの問題であるという認識が強い。

しかしながら、コミュニケーションとは人を動かす力学であり、そこには原理原則が息づいている。また、コミュニケーションは個人だけの問題ではなない。

組織のコミュニケーション力が今求められている。

コミュニケーション技術評価会をスタートしてから早7年になる。これからますますコミュニケーションを技術化することが求められてきていることを日々実感する。

(下記は20097月の技術評価会の講演のビデオです。今回のテーマである「独創」について考えてもらうために、私の米国世論への働きかけを中心に行った本田技研工業時代の活動(無謀なデトロイト事務所開設、米国からの輸出シーンの衛星中継、本田宗一郎氏の自動車殿堂入り後押し等)を振り返っています。)



首相官邸VSホワイトハウス、“竹やり”対“ミサイル”の戦い

オバマが組織化されたコミュニケーションによって彼のメッセージが守られているのに対して、麻生総理は丸裸でメッセージを出し、“自爆発言”を重ねていることは前にも話した

実は同じことが、日本の首相官邸とアメリカの大統領府(ホワイトハウス)にも言える。

まだ民主党の選挙コンサルをやる前の話だが、一度、首相官邸をある人の紹介で訪ねたことがある。当時の官邸の主(ぬし)は小泉総理である。そのときに首相官邸のコミュニケーション機能についていろいろと話を聞いた。

その当時は首相のコミュニケーションに関わる担当者は二人とのことであった。一人は財務省(大蔵省?)から、もう一人は外務省から。財務省から出向してきた人は日本のマスコミ対応、外務省から出向してきた人は海外のマスコミ担当であった。
多分、外務省の人間であれば英語ができるだろうという考えにもとづいた人事であろう。それぞれ大変に優秀な方々であったが、コミュニケーションの専門家ではない。この体制にはびっくりした。

仮にも世界第二位の経済大国日本の首相のコミュニケーションを担当するのが2名とは。クリントン大統領時代のホワイトハウスのコミュニケーション体制は20~30人のコミュニケーション専門家による体制を組んでいたことを記憶している。

ブッシュ政権の時代はその規模は100人レベルに達していた。報道官のほかに、コミュニケーション担当の補佐官もいる。彼らは前日までの世界のあらゆる情報を分析、どのようなメッセージを大統領は世界や国内に向けて発信するべきかの戦略を作成、その日の大統領のメッセージを作成、発信スケジュールを組む。単なるマスコミ対応の域を出ている。

世界を動かすためにアメリカ合衆国大統領のメッセージという“ミサイル”を撃ちまくる。
アメリカは軍事力や経済力だけで世界を動かしているのではない。メッセージというミサイルを撃つコミュニケーション力で動かしているのである。日本の首相官邸と比べると雲泥の差である。喩えるならば、日本は担当している個人は優秀だが、組織がない。個人が“竹やり”で一所懸命がんばっているかたちである。片やホワイトハウスは専門家からなる組織をもって“ミサイル”を撃つほどの仕組みをしっかりと持っている。まさに“竹やり”対“ミサイル”の勝負である。首相官邸の体制も当時とは違うとは思うが、日本のメッセージ発信基地としての機能という面ではまだまだ程遠い感がある。

オバマのホワイトハウスの戦略コミュニケーション力が注目される。その仕掛けを学ぶことが日本をコミュニケーションという力でどう武装するかという視点を与える。

日本のコミュニケーションを“強くする”秘密とは(2)

(1)はこちらを参照)

松本健一氏は欧米を「石の文明」と表現、日本の「泥の文明」と対比する。「石の文明」の特質は、“外”へ拡大するベクトルを持っていることである。それに対して、「泥の文明」は、松本氏曰く、“定住”型で、“内”にベクトルを持っている。
「石の文明」である欧米は、拡大するベクトルをもっているため、絶えず形として可視化された“Product”を多く生み出し、それらを引っさげて拡大していく。一方、日本のような「泥の文明」では、形として可視化された“Product”はあまり生み出されないが、形としては可視化されない“Process”を生み出し、“内”に向けてそれを醸成していく。
「石の文明」である欧米は“Product Innovation”、「泥の文明」である日本は”Process Innovation”とそれぞれの“強み”をもっている。

松本氏の話で面白かったのは、「泥の文明」は“定住型”であり、目に見えない”Process Innovation”が得意であるというポイントである。日本の場合、「泥の文明」というだけでなく、周りを海に囲まれているので、“定住”せざるを得ない。この“定住型”であることが、どうも日本が“融合するチカラ”に秀でていることと関係があるように直感した。

アメリカに住んでいたときに、「なぜアメリカの大都市はスラム化するのか」ということをよく思っていた。80年代後半デトロイトに住んでいた。今でも、デトロイトという都市は、“大都市のスラム化”を最も象徴した都市である。“ドーナッツ現象”と言って、デトロイトの中心部は都市としての機能を持っているが、そこから半径10キロの地域はスラム化、一見、廃墟を思わせるような所もある。実際、デトロイトにいたときは半径10キロ圏よりも外に住んで、そこから中心部に車で通勤していた。デトロイトがスラム化したのは、60年代人種問題で暴動が起こったことによる。そのときに多くの市民が都市部から周辺地域に逃げ出した。その後、暴動が終わったあとも人々は戻らず、スラム化した。

日本ではあり得ないと思った。四方を海で囲まれた小さな島国である。逃げる場所がない。一時避難することはあっても、そこに戻らないということはない。やはり逃げる場所があり、戻る必要がないほど国が広いと“移動”することによっていろいろな問題が解決されるのかと思った。日本には“土地を捨てる”といった贅沢は許されない。“定住型”とは、何があっても、逃げることはできず、何とか“折り合い”をつけることが強く求められる。“内”の中のもめ事だけではない。仮に“外”から異質なものが入ってきてもである。その異質なものを、何とか今まであったものと“折り合い”をつけるしかない。

日本古来の原始宗教であった神道に加え、仏教、儒教、道教などいろいろな宗教が日本に入ってきたが、激しくぶつかることもなく、“神仏習合”という言葉があるように、うまく“折り合い”がつき、人々の生活の中に融合している。この“折り合い”をつけるチカラに日本人は驚くほどに優れている。21世紀の多様性の社会を生き抜く力こそ実はこの“折り合い”をつけるチカラ、異質のものを“融合”するチカラなのかもしれない。日本人の可能性がここに隠されている。(つづく)

”インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEselection ~” 講演資料

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戦略コミュニケーションの発想の原点:人類最古の兵法書「孫子」(2)

ホンダ、3方面から攻められる

“敵”は3つの方面からホンダを攻めてきた。当時、自動車通商摩擦が激化する中で、日本政府(通産省)は自主的に日本からアメリカへの自動車輸出を規制(当初年間168万台)していた。“敵”のまず第一の攻めは、この数量枠をさらに引き下げることである。トヨタ、日産が、自主規制の撤廃を主張したのに対してホンダは現状維持を唱えた。

理由は簡単である。トヨタ、日産は日本に生産余剰能力を持っている。規制が撤廃されれば、より多くの台数をアメリカに輸出することができる。一方、ホンダは日本に生産余剰能力をまったく持っていない。これからアメリカで現地生産することによってしかアメリカ市場への供給は増やせない。自主規制枠を維持することによって、本当の競合相手であるトヨタ、日産にアメリカ市場で先んじることができる。

実際、ホンダは自主規制が維持される中で、他社よりも現地生産を増大することによって日本車でNo1の位置をアメリカ市場で獲得する。しかしながら、このホンダの立ち位置の違いが、ホンダを日本勢の中でも孤立化させる。“敵”の第二の攻めは、現地部品調達法案(通称:ローカル・コンテント法案)を議会で通し、日本の自動車メーカーがアメリカで現地生産する車を“輸入車”として認定、自主規制枠の中に含めるという戦略である。

例えば、日本メーカーがアメリカで生産する車が75%以上アメリカ製の部品を使っていなければアメリカ製(Made in US)とは認めないと言った法案である。一番、現地生産体制が進んでいたホンダでも、一挙に部品の現地調達率を75%以上に引き上げることは不可能である。“敵”はそこを狙って攻めてきた。

“敵”の第三の攻めは、日本自動車メーカーの現地工場の労働組合(UAW)による組織化である。ビッグ3の工場はすべてUAWによって組織化されている。当時の自動車労働組合(UAW)の平均賃金はアメリカの平均賃金よりも群を抜いて高かった。これがビッグ3の高コスト体質のひとつの原因であった。さらに、組合化されると製造工程全体が何百もの工程や職種に細分化され、それぞれに異なる賃金が設定されていた。これにより工程・職種間の自由な移動は妨げられ、生産性と品質レベルを損なっていた。日本的な生産方式とはまったく相容れないものであった。

このように“敵”(ビッグ3、全米自動車労組)は
1.自主規制数量枠の縮小、
2.現地調達法案の成立、
3.現地工場の組合化
という3方面からの攻撃を仕掛けてきた。その矢面に立たされたのがホンダであった。

このような戦況の中、ホンダの戦略は明確である。
1.自主規制数量枠の維持、
2.現地調達法案の廃案、
3.アメリカのホンダ・オハイオ工場組合化の阻止、
である。

ある意味、アメリカでのホンダの存亡をかけた“戦い”といっても過言ではない。当時はあまり表沙汰にはなっていなかったが、ホンダのオハイオ工場が組合化された場合、ホンダはアメリカでの生産活動からの撤退を余儀なくされる可能性は十分あった。(つづく)

(1)はこちら