「信長」をコミュニケーションの視点から考えるようになった理由(コミュニケーション百景* 第3回)

先日、ある世論調査で菅内閣の支持率が発足以来最低を記録した。

混沌とする時代には、それを打破してくれるリーダーの役割が強く期待されている、ということであろう。

今回の「コミュニケーション百景」から以前書きためていた、ある“リーダー”のコラムを振り返り、現代のヒントを見出したていきたいと思う。

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変化の時代のリーダーとして、昔から多くの方々が「信長」を語ってきた。

司馬遼太郎、津本陽、童門冬二、堺屋太一、そして最近では『本能寺』で話題になった池宮彰一郎や『信長燃ゆ』の安部龍太郎など、それぞれ独特の視点で「信長」を捉え、変革期のリーダーとして描いている。

私自身は、歴史小説家でもなければ、歴史を専門に追いかけてきた人間でもない。私の専門はコミュニケーションである。企業戦略とコミュニケーション戦略、リーダーシップとコミュニケーション、ブランドとコミュニケーションといった事柄に関して、コミュニケーション・コンサルタントとして日々の実践を通じて研究してきた。

人間社会の様々な事象の背後にあるコミュニケーションという世界を探求してきた者である。

その私が、なぜ「信長」を論ずるのか。

ある勉強会で、最近、話題のコーポレート・ブランディングの話をしていた時に、参加者のひとりのある経営者から

「コーポレート・ブランディングの考え方はよくわかるが、出てくる例は、皆な外国人の経営者ばかり。誰か日本人の経営者の例はないのか」

と質問された。なるほど、もともとコーポレート・ブランディングの考え方は90年代アメリカで試行錯誤の中、生まれてきたものであるから、日本人の例などまだないという思い込みがあった。日本人で誰かいないかと考えた時、咄嗟に思いついたのが「信長」である。

実は、信長に関しては、昔から個人的に興味を持っていたが、自分の専門であるコミュニケーションという観点から眺めたことはなかった。この勉強会以来、「信長」をコミュニケーションという視点から考えるようになった。 (つづく)
*「コミュニケーション百景」。このシリーズのモットーは“コミュニケーションを24時間考える”です。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka