相手の関心をぶれさせずに対話し続けるコツ(戦略コミュニケーションの温故知新* 第4回)

英語は“慣れ”が重要である。英語で対話する力は“慣れ”の関数である。

慣れれば慣れる程に英語の対話力は上がってくる。対話は覚えている語彙数よりも慣れの度合いのほうが重要だ。

1983年の10月ワシントンに着任する前に、手続きをするため、ロサンゼルスにある米国ホンダ本社にまずは立ち寄った。そこで数泊し、ワシントン入りを準備する。

その際、アメリカの総務が間違ってロサンゼルス~ワシントン間の飛行機をファースト・クラスで手配してしまった。もう手配してしまったものはしょうがないと自分で勝手に言い聞かせ、フライト・チケットを換えることなく飛行機に乗り込んだ。ファースト・クラスは初めてである。いささか緊張しながら席に着くと、国内線であったため、国際線のビジネスクラスより若干レベルが低い程度のものであった。

しかしながら酒は飲み放題である(国内線はビジネスがない)。席に着くと、隣の席に30代ぐらいのアメリカ人男性がすでに座っており酒を離陸前なのに飲んでいた。自分も酒はいけるほうなので、隣の男性が飲んでいるものと同じものを注文した。出てきた酒がドライ・マティーニのオンザロックであった。ドライ・マティーニは飲んだことはあったが、氷を入れるのははじめてであった。シェイクして、冷やし、氷なしで飲むストレートアップよりもアメリカではオンザロックの方が普通らしい。

実際に飲んでみるとジンとドライベルモットのカクテル(これがドライ・マティーニ)というよりもジンのオンザロックであったが実にうまかった。いずれにせよ、離陸前に二人の酒もりが始まってしまい、離陸から4時間、ワシントンのダレス空港につくまで、この酒宴は続く。

直属の上司になるホンダのワシントン事務所長が空港まで迎えに来てくれていた。酒の匂いをプンプンさせ、到着した新任の27歳の部下に甚だ当惑した様子であった。

上司の顰蹙(ひんしゅく)を買ったとは言え、ダレス空港到着までの4時間のフライトはひとつの体験であった。酒の力を借りたものの長時間アメリカ人と話が途切れることなく対話し続けることができたことである。もともと日本語でも日常会話が苦手な性質(たち)である。人と長く目的なく会話することが、能力的にできないらしい。

対話と会話は違う。会話は目的のないもの、対話は目的があるものと勝手に決め込んでいる。

ある意味4時間話続けること自体が結構な試練であった。会話がダメなら対話で行くしかないと覚悟を決めた。「アメリカに着任、まず目の前の一人のアメリカ人にホンダを理解してもらう、日本も理解してもらう」を対話の目的として自らに果たした。

あとはダレス空港到着までの4時間でどれだけ、その目的が達成できたかである。鍵は質問にある。相手の関心を絶えずこちらの関心の領域に留めておくためには質問で誘導するしかない。
「何の車にのっているのか?」、「日本車に対するイメージは?」、「ホンダの車をどう思う?」、「トヨタや日産との違いは?」、「ホンダだけがアメリカで生産していること知っている?」、「日本への輸入車に対する関税ゼロ%知っている?」、「本田宗一郎知っている?」などなど、途切れずに質問を“つなぐ”。

重要なのは、それぞれの質問への答えを十分に聞く。これは相手に対して好印象を与えるだけでなく、相手の答えた内容の中から次の質問をするきっかけを見つけることができる。これが質問を“つなぐ”ということである。これができないと相手の関心が別の方向にぶれる。4時間相手の関心をぶれさせずに維持するには、この質問のつなぎ力が試される。この時の実感である。酒好き、話好きのアメリカ人と席を隣り合わせたことが効を奏した。

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka