4 月2009

”インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEselection ~” 講演資料

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戦略コミュニケーションの発想の原点:人類最古の兵法書「孫子」(2)

ホンダ、3方面から攻められる

“敵”は3つの方面からホンダを攻めてきた。当時、自動車通商摩擦が激化する中で、日本政府(通産省)は自主的に日本からアメリカへの自動車輸出を規制(当初年間168万台)していた。“敵”のまず第一の攻めは、この数量枠をさらに引き下げることである。トヨタ、日産が、自主規制の撤廃を主張したのに対してホンダは現状維持を唱えた。

理由は簡単である。トヨタ、日産は日本に生産余剰能力を持っている。規制が撤廃されれば、より多くの台数をアメリカに輸出することができる。一方、ホンダは日本に生産余剰能力をまったく持っていない。これからアメリカで現地生産することによってしかアメリカ市場への供給は増やせない。自主規制枠を維持することによって、本当の競合相手であるトヨタ、日産にアメリカ市場で先んじることができる。

実際、ホンダは自主規制が維持される中で、他社よりも現地生産を増大することによって日本車でNo1の位置をアメリカ市場で獲得する。しかしながら、このホンダの立ち位置の違いが、ホンダを日本勢の中でも孤立化させる。“敵”の第二の攻めは、現地部品調達法案(通称:ローカル・コンテント法案)を議会で通し、日本の自動車メーカーがアメリカで現地生産する車を“輸入車”として認定、自主規制枠の中に含めるという戦略である。

例えば、日本メーカーがアメリカで生産する車が75%以上アメリカ製の部品を使っていなければアメリカ製(Made in US)とは認めないと言った法案である。一番、現地生産体制が進んでいたホンダでも、一挙に部品の現地調達率を75%以上に引き上げることは不可能である。“敵”はそこを狙って攻めてきた。

“敵”の第三の攻めは、日本自動車メーカーの現地工場の労働組合(UAW)による組織化である。ビッグ3の工場はすべてUAWによって組織化されている。当時の自動車労働組合(UAW)の平均賃金はアメリカの平均賃金よりも群を抜いて高かった。これがビッグ3の高コスト体質のひとつの原因であった。さらに、組合化されると製造工程全体が何百もの工程や職種に細分化され、それぞれに異なる賃金が設定されていた。これにより工程・職種間の自由な移動は妨げられ、生産性と品質レベルを損なっていた。日本的な生産方式とはまったく相容れないものであった。

このように“敵”(ビッグ3、全米自動車労組)は
1.自主規制数量枠の縮小、
2.現地調達法案の成立、
3.現地工場の組合化
という3方面からの攻撃を仕掛けてきた。その矢面に立たされたのがホンダであった。

このような戦況の中、ホンダの戦略は明確である。
1.自主規制数量枠の維持、
2.現地調達法案の廃案、
3.アメリカのホンダ・オハイオ工場組合化の阻止、
である。

ある意味、アメリカでのホンダの存亡をかけた“戦い”といっても過言ではない。当時はあまり表沙汰にはなっていなかったが、ホンダのオハイオ工場が組合化された場合、ホンダはアメリカでの生産活動からの撤退を余儀なくされる可能性は十分あった。(つづく)

(1)はこちら

日本のコミュニケーションを“強くする”秘密とは(1)

「泥の文明」の著者、松本健一氏とお目にかかる機会を得た。松本氏は日本人のモノの考え方や感性は“コメ作り”から来ていると言う。一千年以上にもわたって“稲作”を行ってきた国は日本が世界で唯一だそうだ。そして、その経験の蓄積の中に、これからの世界を日本がリードしていく“秘密”が隠されていると主張する。大変面白い視点である。

先日、「明日の広告」の著者、佐藤尚之さんと“世界に通用する日本のコミュニケーションの強さとは”という話をした。雑誌ビジネス・アスキーの対談取材の時である。その時の結論は、「日本人の“多様性”に対する寛容な姿勢、そしてその“多様性”を融合する智恵である」ということになった。融合する智慧とは、言い換えれば、インテグレーション(Integration)力である。

「オバマ現象のカラクリ」の中でも、

八百万(やらよろず)の神に馴れた日本人は、一神教的な発想と違い、多様性に寛容である。多様性の中で共感を生んだオバマ流のコミュニケーションは日本人にとって相性が良い。オバマ流コミュニケーションを本当に理解できるのは日本人だ。そこに日本のコミュニケーションの世界に貢献できる強さを感じる

と言った趣旨を書いた。日本人が”多様性“に寛容なのは、この多神教的なものの考え方、感じ方からきているということで自分なりに合点していた。しかしながら、融合する智慧になぜ日本人が長けているのか、まだ、自分なりの説明ができていなかった。確かに、日本人は融合するチカラに優れている。自分が16年間携わった自動車産業などは、その最たるものだと実感している。日本が発明した自動車の基本技術はほとんどないと言って良い。ところが日本の自動車産業は世界最強を誇っている。

これは、まさに”融合のチカラ“による。欧米で発明された様々な技術をしっかりと”融合するチカラ“である。自動車産業は、多種多様な要素から成り立っている。それを支えている技術体系といえば、機械工学、電子工学、燃焼工学、応用化学、環境技術、安全技術などなど。さらに製造面では労働集約的である、一方資本集約的でもある。そのバリューチェーンも基礎研究、開発、製造から販売、サービスなど複雑多岐にわたる。2万点以上の部品から作られており、それらは数多くの部品メーカーによって開発、製造、供給されている。また、通商問題、環境問題など社会的な課題にも晒されている。その裾野の広さ複雑さはどの業界も匹敵できない。ひとつの”巨大生態系“といっても過言ではない。”生態系“ということは、自動車産業を支えているすべての構成要素が”つながっている(融合)“ということである。そこでは多種多様なものをどう”融合するか“が産業全体のパフォーマンスのレベルを決める。

この日本がもつ融合する智慧はどこにそのルーツをもつのか。松本健一氏と話して合点がいった。次のブログで、合点はいった理由を説明する。(つづく

[イベント告知]4月24日(金)開催 AMNブログイベントvol.8 「インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEs election ~」

アジャイルメディアネットワークさんのブログでも取り上げられていますが、「インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEs election ~」というブログイベントで、パネラーとして参加します。私は、オバマの選挙事例を講演する予定なので、お時間が合うかたは、ぜひご参加ください。

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【イベント概要】

■AMNブログイベントvol.8 「インターネットが選挙を変える? ~ Internet CHANGEs election ~」

■日時:4月24日(金) 19時00分~21時30分 (18:30開場)

■会場:デジタルハリウッド東京本校イベントホール(御茶ノ水)
〒101-0062千代田区神田駿河台2-3
地図はこちら

■参加費用:無料

■募集定員:100名(※ブログをお持ちでない方も参加できます。)

■注意事項:
※会場の都合上、応募者多数の場合は抽選とさせていただきます。

■プログラム予定
・第一部 米国事例紹介と日本の公職選挙法の解説
・第二部 パネルディスカッション

■登壇予定者(順不同、敬称略)
・第一部
田中慎一 (フライシュマンヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役CEO)
伊藤伸 (構想日本)

・第二部 パネルディスカッション (敬称略)
田中慎一 (フライシュマンヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役CEO)
佐藤大吾 (NPO法人ドットジェイピー理事長)
西村豊(株式会社フォーナイン・ストラテジーズ代表)
伊藤伸 (構想日本)
楠 正憲 (ブロガー・国際大学GLOCOM 客員研究員)
河野 太郎(自民党 衆議院議員)
鈴木 寛(民主党 参議院議員)

※登壇者・プログラムは変更になることがございますので、ご了承下さい。

■主催・運営:アジャイルメディア・ネットワーク株式会社
■共催:株式会社フォーナイン・ストラテジーズ
■お申込みについて:
以下の申込フォームに必要事項を記入してお申し込み下さい。

【申込フォーム】こちら

■ブログ記事の募集:
フォーナイン・ストラテジーズが運営する「ブログ記事の読み比べ評価リンク集!Blog-Headline+」では、当イベントに連動してブロガーの皆さんに「こんなネット選挙運動はイヤだ!」といったNG事例をブログ記事にして登録して頂く
特設ジャンル「インターネットで政治をよくする!ブログ意見集」を開設しました。
政治家の方々にも参考にして頂きますので、ぜひたくさんのエントリーをお寄せください。

【ウェブページ】こちら
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戦略コミュニケーションの発想の原点:人類最古の兵法書「孫子」(1)

なぜ「孫子」?
戦略コミュニケーションの発想を過去の文献に求めると、世界最古の兵法書である「孫子」に行きつく。なぜコミュニケーションが兵法書とつながるのか。「孫子」第3章の謀攻篇で

百戦百勝は善の善なる者に非(あら)ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

と書かれている。つまり百回戦って百回勝っても最善の戦いではない。戦う前に敵を“屈する”ことが最善の戦いであると言う訳である。
兵法書が“戦うな!”と言っているのである。
これは面白い。この兵法書を読み込んでいくと、孫子の神髄はまさに“戦わずして勝つ”ということが分かる。

孫子と並ぶ兵法書としてクラウズウィッツの「戦争論」が有名である。クラウズウィッツはナポレオンと戦ったプロシア軍の司令参謀である。東の「孫子」に対して西の「戦争論」と評価されている兵法書である。この書を読むと、やはり兵法書である。最終的に勝利を掴むにはやはり軍事力の投入が必要であると説く。戦争の理論としては当然なことである。

ところが「孫子」は違う。軍事力の使用を嫌う。最大限、回避しようとする。ではどうやって敵に勝つのかというと、どうやらコミュニケーションの力学をフル活用している。戦略コミュニケーション流に言うならばあらゆる方法で敵の意識にメッセージを打ち込み、意識を破壊する、また、敵が撃ってきたメッセージを迎撃し、味方の意識を守ると言った“カラクリ”をきめ細かく説いている。

戦うための知略(戦略)としてコミュニケーションを説いているのである。この本は戦略コミュニケーションの原論といっても過言ではない。コミュニケーションの世界に身を置く者として、「孫子」ほど読み解き甲斐のある古典は珍しい。行間を読めば読むほど、戦略コミュニケーションの発想が湧いてくる。

ホンダの戦争
確か「孫子」を初めて読んだのは、1985年ごろと記億している。ニューヨークの紀伊国屋で買ったのを覚えている。その当時、アメリカのホンダのデトロイト事務所代表という立場にいた。仕事はアメリカの世論をどうやってホンダの味方につけるかである。

1980年代当時の日米関係はかなり“ギクシャク”していた。その象徴が“自動車”である。70年代に世界的に起こった石油ショック(原油価格高騰)によって、燃費のよい日本の自動車はアメリカ市場を席巻、大きな通商問題になっていた。それが反日感情に火をつけ、開戦前夜の様子を呈していた。

トヨタのカローラやホンダのシビックが石油をかけられ、デトロイトの街中で火あぶりの刑に処せられるほどであった。とくにホンダはトヨタや日産に先駆けアメリカでの生産、開発体制を急ピッチに推進していた。そのため、ホンダを潰せば、日本勢を潰せるという訳で、すべての攻めの矛先がホンダに向けられた。

“敵”はGM、フォード、クライスラーのビッグ3と米国自動車労働組合(UAW)である。

(2)はこちら

選挙戦略コミュニケーションにおける“土俵”(争点)の作り方とは(2)

総選挙へのカウント・ダウンが始まる中で、今度の選挙の土俵あるいは争点がまだ見えてこない。
そのような状況の中、自民・公明は追加経済対策として15兆円に上る財政支出に合意、それに対して民主党は21兆円規模の緊急経済対策を決めた。いよいよ解散総選挙を意識した動きが出てきた。

しかしながら、与党や民主党の追加経済対策案を見ると、

“どっちが金をもっと支出するか”

といったところで競っている印象を与える。確かに、こまめに新聞を読んで、見比べれば内容の違いがあることは分かるがほとんどの有権者は、双方の経済対策案を読み解き、比較検討するほど暇ではない。それよりも、“政治不信”という背後霊にとりつかれた自民、民主を見ながら“選挙戦へのアピール合戦”と冷ややかに感じているのが実際のところだろう。

選択可能なしっかりとした将来に対する“選択枝”を与えるのが政治の重要な国民に対する使命である。
日本の政治は国民にしっかりとした“選択肢”を与えることに、もっと真剣に努力してほしいものである。
“選択肢”を明確にするとは、土俵や争点を明確にすることである。

今回の追加財政支出の場合、3つの視点からもっと争点を明確にできる。

1.財源の違い
大幅な財政出動となれば、税金の更なる支出を意味し、国債の発行で手当てすれば将来世代への借金の更なるつけ替えである。将来世代にさらなる負担をかけることを良しとしない感情は間違いなく人々の意識の底流にある。どれだけここで明確な対立軸をつくるかである。

2. 「支出を変える」 vs 「支出を増やす」
有権者の意識の底流には「支出を増やす」というよりも、「支出を変える」ことを希求しているように思える。
従来の“景気対策”が“企業を潤し”、結果として“国民の生活が守られる”といった流れをどれだけ有権者は納得しているか甚だ疑問である。

これはあくまで“感覚”レベルの話だが。道路より医療へ、新幹線より治安へ、ダムより年金へより身近な生活のところに「支出を変える」ことを人々は求めているように思える。

“身近な生活が壊れている”といった実感が今国民の意識の中に深く浸透している。
オバマも大統領選挙中に「税金の使い方を少し変えるだけでアメリカはよくなる」と言って多くの国民の支持を得た。どれだけ「支出を変える」といった視点で追加財政支出を意味づけられるかがポイントになる。

3. 「政治と金」の問題は、実は「支出を変える」問題
「政治と金」の問題は、避けては通れない。7割以上の人々が政治不信をとなえている。
西松建設の献金問題に端を発し、「民主党よ、お前もか!」といった小沢騒動、自民党の二階騒動など政治に対する人々の疑惑は頂点に達している。ある意味国民の関心事であるこの「政治と金」の問題を有権者に対してもっと意味づけることが必要である。

これを単に政治家の違法性、倫理性の問題とか、企業不正の問題とかに留めない。
国民が「政治と金」の問題でもっとも大きな被害を受けるのは、国民が自らの生活を守るために政府に預けた「税金」の使い方がこの「政治と金」の問題によって“歪められる”ことである。

本来ならば、医療、年金、教育、治安など身近な生活のところに使われる税金が政治家の利益誘導により、不必要な建設土木に使われることである。今、国民が政府に預けている“お金”に対する認識が大きく変わりつつある。税金だけではない、年金や健康保険などの保険料も国民が政府に預けている“お金”である。

自分たちが政府に預けた“お金”が“ヤレヤレ詐欺”のように、生活を守るところ以外に勝手に使われてるといった“感覚”が日増しに広がっている。「政治と金」の問題はまさに「支出を変える」問題と直結しているということをしっかり認識してもらうことによって国民の関心の高い「政治と金」の問題を、争点設定に関連付けることができる。

選挙戦略コミュニケーションにおける“土俵”(争点)の作り方とは(1)


Photo by bhollar

2003年から2005年まで民主党の選挙戦略コミュニケーションの策定にかかわってきたが、
経験上、“土俵(争点)”を先に設定した方が選挙に勝つといっても過言ではない。

一旦、土俵を相手に設定されてしまうと、その相手の土俵で戦わざるを得なくなる。
オバマもマケインに先んじて“Change”という土俵を設定した。
結果はオバマの敷いた土俵に乗らざるを得なかったマケインが敗北する。

日本でも2003年の衆院選挙では民主党がマニフェストを旗頭に「政権選択」を土俵に設定、勝利をものにする。2004年の参院選では「年金一元化Yes or No」を土俵に民主党が自民党にせまり勝利する。
反対に、2005年の衆院選では「郵政民営化Yes or No」という土俵を小泉総理が演出、空前の勝利を手にする。
2007年の参院選はXX選挙と命名されないほど、民主、自民両党とも土俵設定ができず、閣僚の失言、辞任などの敵失によって、更には地方重視、地上戦重視の小沢路線によって民主党が勝利を収めるといった構図であった。

今度の衆院選は2003年から始まった自民党VS民主党、政権を争っての「天下分け目の戦い」となる。しかしながら、今までの選挙と比べるとかなり不確実性が増している。その中で民主、自民双方とも”争点“設定が見えずに悩んでいる。どちらが先に争点(土俵)を設定できるのか。
あるいは、2007年の参院選のように双方とも土俵を設定できず、どちらかが敵失勝利をおさめるのか。先がなかなか見えにくい。

 的確な土俵、あるいは争点を設定するためには、まず、”ある感覚“が必要である。
目の前で起こっている様々な事象、一見、なんのつながりもないように見える事象の背後に、それらの事象を結びつける共通する”スジ“を”読み解く感覚“である。
”スジ“とは一見、無関係な個々の事象の背後に隠れている”ひとつのつながり“といってもよい。
その”つながり“が見えてくると、そこから”ひとつの課題“を抽出、設計することができる。
人々が日常目撃しているあらゆる出来事、事件、事象などを”ひとつの課題“で意味づけることである。

イラク戦争の泥沼化、医療制度の崩壊、リーマン・ショックに始まる金融危機などの事象を、オバマは

”従来の延長線上ではダメなのだ。Changeしなければダメなのだ。“

という課題で意味づける。これは選挙戦略コミュニケーションの要となる感覚である。
多くの一見つながりのない事象に共通する”ある課題“を想起する感覚である。そしてその”課題“をどう乗り越えていくかという”ストーリー“を構想する感覚でもある。これはアップルのステイーブン・ジョブが”※Connecting the dots”と表現している能力に近い。見える“点”と“点”を見えない“線”で結びつける能力である。“意味づける能力”と言ってもよい。

課題とそれを乗り越えるストーリーが直感できれば、あとは科学的に定量、定性調査を行い、その裏づけをとる。具体的な土俵や争点の設計のステージに入る。いろいろな出来事や事件などが、人々の意識の中で“ひとつの課題”によって意味づけられると、そこに土俵ができる。意味づけによって人々の認識は変わり、意識・行動変化の大きな起因となる。“意味づけが人を動かす”コミュニケーション力学の原理・原則である。


※”Connecting the dots”
米国スタンフォード大学における卒業式でのスピーチから(全文はこちら)

二人の“イチロー”


Photo by Mori Chan

WBC決勝戦と小沢民主党代表3月24日記者会見

イチローはカッコ良かった。

WBC決勝戦10回の表、2打点を打ち込んだイチローの映像に日本人皆が感動した。
その感動はイチローが決勝打を打ったという行為だけから生まれたものではない。日本人の多くが、映像では見えない“イチロー・ストーリー”を頭で描きながら、2打点を稼ぐヒットを打ち、塁をまわっているイチローの雄姿にそのストーリーを重ね合わせ、感動を味わっているのである。

イチローには確かにストーリー性がある。

日本人を代表して野球の本場、大リーグで一流のプレイヤーとして活躍するイチロー。
求道者として一途に野球を究めようとしているイチロー。
WBCで日本人として燃える男イチロー。
今回のWBCで不振で悩むイチロー。

今までのイチローの様々な姿や事象が積み重なり、人々の意識の中に“イチロー・ストーリー”なるものが育まれていく。
観衆は“決勝打を打つ”イチローの姿の背後に、このストーリーを想像して感動を喚起させている。このように一つの行為の背後にしっかりとしたストーリーが想起されるとその“行為”が感動を呼ぶ。これが“ステージング(Staging)”の妙である。

同じイチローでも3月24日に行われた小沢一郎(イチロー)民主党代表の記者会見には感動がなかった。

そこにはストーリー性が感じられなかった。国民への謝罪、涙、など“当事者意識”を示す上でのいわゆる“小手先”の対応はあったが、その姿の背後にはストーリーはなかった。

したがってどれほどの共感を国民に与えたかは甚だ疑わしい。

ストーリー醸成には一貫性が求められる。

イチローは日本で活躍していたころから“求道者としてのイチロー”といったイメージを一貫して出し続けてきた。

その一貫性が“イチロー・ストーリー”を支えている。3月4日に行われた一回目の小沢民主党代表の記者会見と3月24日の記者会見を比べるとまったく一貫していない。

一回目の記者会見では国民に対する“謝罪”はなかった。また表情も“憮然”としていた。検察や国家権力への強い批判があった。見ているほうも“これが同じ人間か”と思うほど会見のトーンが違う。この一貫性のなさが、小沢民主党代表の姿の背後にストーリーが想起できない理由である。ストーリー性のないところには感動、共感はない。

小沢民主党代表の失敗は、一回目の記者会見を行う前に、しっかりとしたストーリーあるいは土俵が描けなかったことである。

ステージングに対する配慮がなかった。

ストーリーをつくるには、まず目的の設定が重要になる。目的が明確になれば、その目的実現に資するストーリーを考えればよい。

ある民主党の議員が「検察に対する法廷闘争と政権交代のための選挙戦略とは違う」といった趣旨のことを述べている。

これば真にごもっともな話で、記者会見の目的が検察に対する法廷闘争なのか、政権交代実現をはかるための選挙戦略なのか、まったく明確でない。

“二頭追う者は一頭も得ず”である。目的を絞り込めなかったために、しっかりとしたステージングができなかった感がある。目的意識のないメッセージ発信は“危険”である。ステージングなしのメッセージ発信も“危険”である。小沢民主党代表や麻生総理など日本を代表する政治家の方々を見ていると、コミュニケーションの「カラクリ」(原理・原則)を知らずにメッセージ発信している“危うさ”を感じざるを得ない。

書籍掲載ブログ一覧  part2

「オバマ現象のカラクリ 共感の戦略コミュニケーション」をブログでご紹介いただいた方に感謝の意を込め、ここに掲載させていただきたいと思います。 (part1はこちら)
全力ブログ
(順不同。今後も好評・悪評問わず、できる限り更新していきたいと思います。
また、このページへのトラックバックも随時受け付けております。)

(part1はこちら)

(書評) 学問のすすめ 福沢 諭吉

福沢諭吉に見る戦略コミュニケーションの発想!
「学問のすすめ」は“戦略的関係性”構築のすすめ

「学問のすすめ」は近代社会の中で個人がどのような“立ち位置”を築き、周囲と戦略的な関係性を構築するかを説いた、日本で初めての“個人ブランデイング”の指南書である。

明治という時代は個人にとって関係性を模索する時代であった。個人を取り巻く様々な社会との関係性を規定していた身分制度という封建社会の枠が崩れ、個人が自ら積極的に社会とのかかわり方を築いていくことが求められていた。

今様で表現するならば、「職業選択の自由」になったということである。これは結構、大変なことである。職業が変わるごとにステークホルダー(利害関係者)が変わる。その都度、その関係性を構築していくことがもとめられる。

また、今まで存在していなかった“近代国家”という新たな社会統治の仕掛けに対してどう一人の個人として処していくのかが大きく問われていた時代であった。「個人」を自覚するという意味合いでは、まさに「文明開化」ではあったが、それは決して個人にとって楽な時代ではなかった。夏目漱石流に表現すれば“神経衰弱”の時代であった。その多くの“悩める”個人に対して勇気を与え、関係性再構築の激動の時代をどう生き抜くかを指南した啓発の書が福沢諭吉の「学問のすすめ」である。「学問のすすめ」は明治5年その第一編が出版され、その後明治9年までに合わせて十七編が世に紹介された。当時、160人に一人はこの「学問のすすめ」を読んだと言われるほど「古来稀有」の大ベストセラーであった。その論旨は個人が「実学」の実践を通じて「独立自尊」の精神を培い、社会の中での自分の立ち位置を確立する、つまり有意な関係性を周囲と築いていくことによって自立して生きて行くことの重要性を説いたものである。現代風に表現するならば、「“戦略的関係性”構築のすすめ」なのである。

われわれが生きる平成の時代も関係性再構築の激動の中にある。
戦後60年を支えてきた様々な制度が崩れてきている。その大きな制度のひとつが終身雇用制である。

かつては終身雇用制を前提として個人は企業組織に参画した。
自分も昭和53年に本田技研工業という自動車会社に入社した。当時はこの会社で現役時代を終えると本当に思い込んでいた。年功序列というしきたりの中で順々に歳と経験を積み重ねながら大きな仕事を任されていく。生活もそれに従い豊かになっていく。企業人としての自分の将来のシナリオが描けた。ある意味、描けたというよりも、与えられていたといったほうが適切かもしれない。あたかも江戸時代という封建社会の中で士農工商という身分制度によって個人の将来の生き方が与えられていたかのように。企業社会だけではない。日本社会のさまざまなところで多くの個人が将来シナリオを描ききれずに悩んでいる。フリーターやニート現象は将来の生きる道筋を描きにくい時代になったことのひとつの象徴である。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」福沢諭吉の「学問のすすめ」の有名な冒頭の一節である。
この一節は単に人間すべて平等ということだけを謳っている訳ではない。「文明開化」という近代化を支える仕組みを「関係性」の視点から言及したものである。福沢諭吉の生きた明治維新とは日本が近代化という社会的パラダイムシフトに直面した時代である。
その中で個人がどのようにステークホルダー(利害関係者)との関係を再構築していくのか、新たに生まれた国家とどのように関わりを持てば良いのか、福沢諭吉は「関係性」という尺度から近代日本の本質を洞察した明治人のひとりである。夏目漱石がこの近代社会の「関係性」のあり方を神経衰弱の元凶であり、煩わしいものとして考えたのに対して、福沢諭吉はより積極的な視点から捉えた。

「文明開化」という社会的なパラダイムシフトの中、個人は社会の中で自分の立ち位置を確立することによって大きくその才能を開花させることができると主張、個人の才能開花あっての文明開化であることを説く。その鍵は「実学」の実践と「独立自尊」の精神の醸成であると主張した。

これからは個人も企業も戦略コミュニケーションの発想によって、自分の“道”を切り開くことが強く求められてくる。あらゆる利害関係者との間に戦略的な関係性を構築、それらをテコに目的実現をはかっていく時代である。その鍵は自分の“立ち位置”(ポジショニング)にある。あらゆる相手に対して、明確に自分の“立ち位置”をつくれるかである。
“立ち位置”が相手を動かし、関係性をつくる。相手視点に立って俺はここで貢献できる”という「実力(じつりき)」と「意志」が必要となる。福沢流に言えば、「実学」の実践と「独立自尊」の精神の醸成である。「学問のすすめ」は戦略コミュニケーションの視点から読み解くことによって、現代的な意味が明確になってくる。